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We Escape the Ordinary

ショートヒストリー

ショート·ヒストリー さゆりお母さんより

なーぎこと川満渚は、生まれる前お腹の中では切迫流産6ヶ月も入院してました。

浦添市の病院で奇跡なぐらい退院し、誕生しました。

難産で長い陣痛でしたが、しがみついて、耐えて耐えてこの世に誕生しました。
2800グラムの可愛い女の子でした。

さやかお姉ちゃん3才は、いつも私のお腹に絵本を置いて読み、渚にエールを送っていましたよ。

私の自慢は一つだけ

4姉妹がとても仲良くどんな時にも支えあって助け合って生き抜いていることです。
私はいつも4姉妹物語を映画や本にしたいと思ってました。

アパートで家族5人母子家庭。

ある日電気料金が払えず電気が切れました。
私は夜の仕事で出て行く!

「お姉ちゃんは、大丈夫だよ、夜は眠ったらわからないよ!」

「お仕事頑張ってねー」と、、

宮古島の大きな台風が来ても、雨漏りもしている崩れおちそうなボロボロの家で、
妹たちは、ストッキングを頭にかぶり、お化け大会。
大爆笑して4姉妹仲良く笑って過ごしていました。
貧乏でも4姉妹が、とても明るく笑っていたのが凄いなあと今でも思っています。

なぎ~は少し離れた学校へ自転車で通い、送迎は無し
朝6時から朝練、勉強、夜遅くまで部活をして自転車で離れた家まで帰宅し
また家庭学習に熱中!

どんな逆境であれスポーツ、勉強。
無言でひたむきに目の前の事に一生懸命でしたね。

なーぎは
どんな逆境の中でも自分がやると!
決めた事や目標に向かう姿はほんとに素晴らしいです。

ありがたいことに周りの地域の方や、指導者、特に担任であるバスケットの監督に恵まれました。

5年生頃から頭角を現し
宮古島のバスケットや陸上競技で活躍していましたね。

母子家庭の中で文武両道活躍した生徒表彰

中学1年から、県代表のリストにあがり、毎週宮古島から本島に合宿に参加

中学1年から、部活が終わると、一般の方の練習に参加し、努力を重ねる

私は離れて暮らす時が2年ほどありましたが、沖縄本島での練習、
宮古島に帰るとき空港のお別れで、渚は肩をふるわせ泣き顔みせず帰って行きました。

幼少期から親の離婚、何度も転校
母の神だーり、
病気腎盂腎炎子宮筋腫
鬱病診断

親の情けない時、自力で出来る事努力をしました。
渚の凄さは今後も続くと思います。

小さな小さな島の地域の方々、おじいやおばあ、先生、生徒達の活気

おばあたちは、渚の試合前にはおこづかい、お肉魚を持ち寄り、渚がんばれ〜と。
おじーは靴を買ってあげたり、一番になれよ!と試合を楽しみにしていました。

中学卒業の頃には
本島の当時バスケットで強いチームの3校の監督がスカウトにやってきて
渚は宮古島を離れ本島に行くことを決意しました。
寮に住み、新しい環境、新しい友達と切磋琢磨した事でしょう。

社会人になり
19歳と幼いながらに社会に馴染み19歳とは思えないほどの風格がありました。

やりたい事に夢中になっている時。

訪れた父の病。末期ガン 余命半年。
4姉妹で助け合い仕事や育児の最中毎日父の病院へ通っていました。

4姉妹想いも虚しく父は天国へ、、、
「娘4人が仲良く過ごしている事が最高に幸せだ。どんな時でも助け合って生きなさい。」と。
最後の言葉を娘達に話し旅たっていきました。

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